日本中国内モンゴル友好協会(大阪内モンゴル協会)
果てしなく続く大草原、この環境を子孫に"

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                   フフホト市内観光
 

近年、フフホトは草原観光で注目されるようになったが、フフホトは古くからチベット仏教の影響を受けた都市であるため、それに関連した史跡が市内にも多く残されている。特に大召付近には席力図召、五塔寺などが集中している。毎月旧暦の15日にはラマ(チベット修行僧)が多く集まる日もあり、当日に行くことができれば、チベット仏教の雰囲気を体感することもできる。また市内には、清真大寺、昭君墓などの史跡もあり、草原だけではなく市内観光も楽しめる。

 史跡以外にも、博物館、競馬場、公園、広場があり、十分に楽しむことができる。フフホト市政府近くの如意広場では、夏の夜に、噴水と光のショーもあり多くの人が集まる。公園、広場は中国人にとって欠かせないものであり、市民の憩いの場である。そこに行けば、一般市民の様子や過ごし方を垣間見ることも出来るので、時間があれば行ってみると良い

 

 

 

大 召

 大召は呼和浩特市の旧城の南部に位置し、1580年、フフホト初の寺院として建設された。記録によると、トゥメット部のアルタン・ハン(阿拉坦汗)は美岱召を建設した後、明朝の支持下で、1579年(万暦7年)、市街地と寺院を正式に建設にすることを決定した。新たに作った都市は市街地と寺が別れ、寺院は2年目に落成し、市街地はその1年後に落成した。 明朝の皇帝は寺を「弘慈寺」と名づけ(のちの大召)、市街地は帰化城と名付けた(のちの旧城フフホト)。

  大召完成後、寺院内には銀の釈迦牟尼像が祭られたため、その当時から銀仏寺と呼ばれるようになった。1586年(万暦14年)、ダライラマ3世はトゥメット部の盛大な歓迎式中、オルドスからフフホトに入り、弘慈寺の銀の仏陀の開眼の儀式を主催した。その後、大召は当時の漠南地区ので最も有名な寺院、そして、フフホト最大の寺院となり、歴史上大きな影響を持つようになった。

  1627年(明熹宗天啓7年)、史籍にはリンダン・ハン(林丹汗)が“帰化城を攻略し、銀仏寺を奪いとった”と記載されているように、大召は都市と並べて記されており、そこからも、大召の漠南での影響の大きさがよくわかる。清朝の太宗ホンタイジは軍隊を率いてフフホトまでリンダン・ハンを追撃し、部下に市街地に放火するように命令したが、“銀仏寺などの廟だけは残し、壊してはいけない”と言った。これもまた大召の名声の高さを示している。

  ホンタイジはまたトゥメットに大召を修築するように命じ、修築後は「弘慈寺」から「無量寺」と名を改めた。これが今日の大召の漢名「無量寺」の起源である。 寺院内には、山門、過殿、経堂、九間楼、仏殿などが現存し、その内経堂と仏道は繋がっており、大殿と呼ばれて、仏殿内には彫像と壁画がある。銀の仏像は400年時を経て青色に変化しているが、今なお完全に保存されている。

清将軍衙署旧跡(将軍府)


 清将軍衙署旧跡は呼和浩特市の新城西路北側に位置し、清の綏遠の綏遠将軍が駐在した役所で、1737年(清代乾隆2年)に着工し、1739年(乾隆4年)に完成した。

 衙署の真南には「大照壁」と呼ばれる赤い壁がありこの旧跡のシンボルと言っても良い。東西の門は轅門と呼ばれ、正門の前には狛犬が置かれている。門をくぐると、綏遠将軍の役所であった、大堂、二堂、将軍の寝室であった、三堂と四堂が続く。五番目にあるのは後堂で、両側は花園がある。 旧跡内には130の部屋があり、敷地面積は3万㎡である。

 綏遠将軍は清朝の封彊大臣(西部地域を治める大臣)という高官で、綏遠地区の最高の軍事行政が官吏であった。 この府は1737年から1912年のまで175年間に、75人の将軍は任命を受けた。 1912年から1913年のまで北洋軍閥政府はに将軍府と改名し、1914年から1921年までは綏遠都統公署と改名した。 1921年、綏遠省政府はここに置かれ、解放後、綏遠省人民政府、内モンゴル自治区高級人民法院、内モンゴル自治区文化庁はここで執務を行った。 フフホト市政府は清将軍衙署を復元し、観光客が見学できるよに開放している。  この旧蹟にすぐそばには、立体交差がありそこを通る時(東→西)、高い位置から旧蹟全体を見渡すこともできる。

 

五塔寺(金剛座舎利宝塔)

 五塔寺はフフホト市の旧城と呼ばれる地域にある。別名は金剛座捨利宝塔と言い、モンゴル語名は“塔奔・斯普日嗄”という。高さは16.5メートルで、大きな塔の上に、四角形の小さい塔が5つ立ち並び、塔には上から下まで全部で1000余りの仏像の彫刻がほどこされていることから、またの名を“千仏塔”という。北京の真覚寺の五塔は、五塔寺の造りと類似しているが、建築芸術の立場で言えば、フフホトの五塔寺はいっそう精巧で美しい。

 その造りは均整バランスがよく、曲線は調和がとれ、厳かで優美だ。下部は金剛座と呼ばれ、須弥山の蓮の装飾で飾られている。 金剛座は全部で7層あり、第一層にはモンゴル、チベット、サンスクリットの3種の文字で書かれた《金剛経》が刻み込まれている。各層上部の壁面には黄金の仏像があり、全部で1000余りの厨子がある。各厨子の仏像の豊かな表情を持ち、それぞれ異なっている。南側の門の上にはモンゴル、チベット、漢、3種の文字で書かれた“金剛座捨利宝塔”の文字が漢白玉で飾られた額に納められている。

 五塔寺には、国内で発見された唯一の少数民族の文字(モンゴル文字)で書かれた天文図がある。天文図の直系はは144.5センチメートルあり、天球は北極を中心とした物で、28の経線が描かれており、北極圏、夏至圏、赤道圏、冬至圏、南極圏も描かれている。描かれた恒星の数は約270個で、星の数は1550を超える。 この天文図は清朝の天文学の重要な資料であり、貴重な文化財でもある。

 五塔は本来、1727年に建てられた、ラマ寺慈灯寺の内の一つの建物であったが、後に慈灯寺は衰退し、五塔だけが毅然と残った。残った五塔は、雲をもしのぐようにまっすぐと伸び、美しく、どこからでも見ることができるので、人々にその存在を知らしめた。そのため数百年来の五塔の苦しみを見て、後の人々はその五塔を“五塔寺”呼ぶようになった。

 また、この五塔寺にはダライラマ3世の時代に、「釈迦の小指の骨」が持ち込まれたという伝説も残り、今でも五塔寺の地下宮殿に眠っているという逸話も残っている。

王昭君墓

 王昭君、字は墻。前漢の元帝時に朝廷を入ることを、自らの意志選択し、和親の使者として匈奴の呼韓邪単于に嫁ぎ、寧胡閼氏という名を与えられる(閼氏とは匈奴の君主の正夫人であることを示している)。

 昭君が異国へ嫁いだ60年間、漢と匈奴はずっと平和を保ち、匈奴の境界内の経済の文化も発達した。このために王昭君は各民族の人々の尊敬を受けている。

 言い伝えによると、当時の昭の君の亡くなった時、内外の農民、牧民が次々と葬式に参列した。彼らはみな衣服に土をつめて訪れ、その土を積み重ね、それが昭君墓となった。

 昭君墓は呼和浩特市郊外南部の9キロメートルの大黒河の沖積平原上で位置している。晩秋、昭君墓の辺り一面は枯れ果てるが、墓の上の草だけは青々と茂ると言われおり、そのことから、別名“青い墓”とも呼ばれている。昭君墓の高さは約30メートルで、園内には、植物が生い茂りで、さまざまな花が咲き乱れる。また、墓の前には、王昭君と呼韓邪単于の馬に乗っている青銅の銅像を見ることができる。
 
 

内蒙古博物館

  内蒙古博物館はフフホト市街中心に位置する。博物館の屋上には空高く疾走する白い駿馬の像が捧げられ、内モンゴル自治区の飛翔、吉祥を象徴している。 博物館の総面積は15000㎡。展示面積は7000㎡。

  「内モンゴルの古代生物」「内モンゴルの歴史」「内モンゴルの近現代」「内モンゴル民族文化」などの4部門に分かれている。この博物館の目玉でもある古代生物のコーナーの恐竜の化石は 、高さが10数メートルにも達する。また、モンゴル民族の衣装や、生活に使われた道具なども陳列されている。 ここにくれば、恐竜の化石から、モンゴル族の歴史、風俗に触れることができ、フフホト、内モンゴル、モンゴルに関する知識を深めることができる。

 


 

青城公園

 フフホト市内一番の繁華街中山路西部に位置する公園。名前の「青城」はモンゴル語であるフフホトの中国語訳。公園内は広々としており、たくさんの市民が訪れ、楽しんでいる。公園の一部は動物園になっており、無料で動物も見ることができる(一部有料)。 また、観覧車、お化け屋敷などの施設などもある。

 

 

チンギスハン陵

 陵園の内の建築は、3つのゲル型の陵宮から構成される。正殿にはチンギスハンの漢白玉の彫像が安置されている。正殿の奥には、黄色のゲルがあり、チンギスハン、正妻ボルテと2人の弟ベルグタイ、カサルが祭られている。また、西殿、東殿にはそれぞれ、チンギスハンの神器、末子ツルイ夫婦などが祭られている。

  この他、陵宮外にはチンギスハンの戦争、戦争の神の象徴といえる、「ソルド」や、陵園外には、「オボー」と呼ばれる石を積み上げたモンゴル人の心のよりどころと言えるもがある。

  チンギスハン陵周囲には、観光用に宿泊ゲルなどもあり、日中は乗馬、夜はオルドス式の結婚式や宴の再現も楽しむことができる。 フフホトからバスで約4時間、最寄駅の東勝駅からは約1時間かかる。